「株式会社 エーツー」では、快適にページをご覧いただくためにJavaScriptという技術を使用しています。 JavaScriptの設定がオンにされていない場合、適切な表示・操作を行えないことがありますのでご了承ください。
新品定価より ¥2280安い!!10%OFF
新品定価より ¥2280安い!!
条件により送料とは別に通信販売手数料がかかります ■本州・四国・九州 お買上金額 5,000円未満…240円 お買上金額 5,000円以上…無料 ■北海道・沖縄 お買上金額 5,000円未満…570円 お買上金額 5,000円以上10,000未満…285円 お買上金額10,000円以上…無料
このページに記載された商品情報に記載漏れや誤りなどお気づきの点がある場合は、下記訂正依頼フォームよりお願い致します。
4.2(7件)
現在、商品レビューの投稿はありません。
商品レビューの削除
商品レビューを削除しました。
指定された商品レビューが見つかりませんでした。
削除キーを入力してください。
削除キーが間違っています。
削除できませんでした。
わが国を代表する指揮者・小澤征爾は、いかにして西洋楽壇の頂点に到達しえたのか。日本人が西洋音楽を奏する意味を真摯に問い直す。
日本人指揮者である小澤征爾が、ウィーン国立歌劇場の総監督に迎えられたのは、画期的な出来事だった。それは、オペラの総本山が真の国際化に乗り出したということであり、また日本の異文化受容の到達点を示してもいる。
世界の小澤が奏でるモーツァルトは、伝統的な解釈から解放されているのが魅力だ。しかし、このことは「音楽に国境はない」ことを意味しない。日本人は、自らが日本人であることを自覚することからしか、西洋音楽に近づく術はない――そのことを小澤は誰よりもよく知っていた。小澤の音楽は、「からごころ」という言葉を通じて展開される本居宣長の思想と、根底で通じ合っているのである。
小澤は、いかにして西洋楽壇の頂点に到達しえたのか? 本書はモーツァルト、ベートーヴェン、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなどの演奏解釈を通して、さらに菊池寛、小林秀雄、三島由紀夫などの言葉を通して、小澤征爾が目指す音楽の本質を明らかにする。
プロローグ 音楽には国境がある
第1章 「文化的・平和的掠奪行為」としての西洋音楽
第2章 何人かの「父」
第3章 「透明なブラームス」の是非
第4章 疾走する『荘厳ミサ曲』
第5章 ショスタコーヴィチの「叫び」
第6章 オペラという伏魔殿
第7章 菊池寛とチャイコフスキー
エピローグ 西洋音楽と「からごころ」
レビューより
小澤征爾さんに関する本は、相当数読んだが、こんなにすばらしい著書を見逃していたとは、勿体なかった。でも理由は、明らかだ。これは「日本人論」だからだ。「小澤征爾論」とは一線を画す。遠藤さんは、抜群の引用のテンポの持ち主でもある。時には短く、時には長く、緩急のある文章の合間に、快活な「引き」が展開される。
題名こそ、小澤征爾だが、これは、明らかに「日本人の文化論」に関する優れた著書なのだ。
小澤征爾さんは、引用の柱ではあるが、言いたいことは、西洋文化(音楽)に対する日本人の向き合い方に関する提言そのものである。